明治24(1891)年に初代、河田寅吉が羽毛商として「河田商店」を創業したのが始まりです。明治38(1905)年には河田安吉が事業を継承し、昭和19(1944)年に河田準一郎が責任者となります。昭和20(1945)年、第二次世界大戦の戦況悪化に伴い、事業を中断。岐阜県の高山に疎開し、翌年3月には事業を再開します。
昭和24(1949)年には名古屋市へ移転し、3年後の昭和27(1952)年、河田和成が責任者になりました。
和成は昭和38(1963)年に法人に改組、代表取締役となります。
昭和30年代はアメリカ向けに帽子の羽根飾りの生産、自動車を清掃するときに使う「毛ばたき」の生産、東京タワーの土産の「羽根つきペン」などヒット商品を手がけました。日劇や宝塚の舞台衣装やダンス衣装などに使う羽根や装飾羽根も請け負っていました。羽根の装飾品「マラボー」も扱い、成人式の振袖のショールとして多くの注文を受けました。
今では一般に知られるようになった神社の破魔矢の生産を始めたのも昭和40年代後半です。破魔矢に使う羽根の生産は現在も請け負っています。
昭和45(1970)年以降、和成がアメリカで仕入れてきたダウン(羽毛)の情報がきっかけで、昭和52(1977)年、羽毛原料の処理作業とダウンジャケットの生産を始めました。2年後にはダウンジャケットブームが到来し、大量のダウンジャケットを生産、同時期に羽毛ふとんの生産も開始しました。
ダウンジャケットのブームは5~6年でピークを迎え、昭和61(1986)年には羽毛ふとんの生産が大きく伸び始めました。
羽毛の精製と羽毛ふとんの生産で名古屋市内にあった3箇所の工場はフル稼働していました。次の時代を見据えた工場を建設するため、生産体制の強化と羽毛精製に適した場所を探して、昭和62(1987)年、現在の場所(三重県明和町)に新工場の建設準備を始めました。
和成は長男の敏勝を精製機械設計など明和工場の建設責任者としました。敏勝は羽毛の特徴や構造を理解し、独自の理論に基づいた機械を設計。世界でもトップクラスの除塵、洗浄力を誇る羽毛精製機械を作りました。 平成3(1991)年、会社創業100周年の節目に待望の明和工場が完成しました。
明和工場で精製した羽毛は、従業員が驚くほどキレイな品質でした。名古屋市と明和町の両方の工場を稼働させる予定でしたが、品質を見る限り、すべての精製工程を明和工場でおこなうことを決めました。
新工場の稼動から1年後に2号ライン、平成11(1999)年に3号ラインを増設。現在も機械の改良や工場のオートメーション化などを進めています。
一方、羽毛ふとんは名古屋市の工場で生産していました。平成3(1991)年、明和工場に自動羽詰機を新設し、明和工場で羽毛ふとんの生産が可能になりました。その後、機械を増やし、独自の改良を加えた全自動羽詰機7台が明和工場で稼働しています。
平成19(2007)年5月、和成が取締役会長、敏勝が代表取締役に就任しました。平成20(2008)年6月、敏勝が国際羽毛協会(IDFB)の副会長に就任しました。平成23(2011)年、明和工場に機能を集約し、現在に至ります。
2000年1月 | ISO9002 審査登録 |
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2001年7月 | ISO14001 審査登録 |
2003年7月 | ISO9001 登録範囲拡大 |
2009年7月 | ISO9001 登録範囲拡大(藤前流通センター/名古屋市) |
2010年9月 | OHSAS18001 審査登録 |
2014年4月 | DOWN PASS 認証取得 |
2015年2月 | EDFA トレーサビリティシステム認証取得 |
2016年8月 | 「J∞QUALITY」の企業認証取得 |
2017年7月 | 羽毛ふとんリフォーム認定工場登録 |
2019年8月 | ISO9001 / ISO14001 登録範囲拡大(名古屋支店 / 大阪支店) |
2019年8月 | OHSAS18001 登録範囲拡大(名古屋支店 / 大阪支店) |
2019年11月 | J-TASラベル使用企業認可取得 |
2021年4月 | OHSAS18001からISO45001へ移行審査登録 |